川越市の市民大会は3位に終わりました。
最終日はフルメンバーで戦えなかったことが心残りではあるものの、
その中で最大限の頑張りを見せてくれたメンバー、多忙の中応援や撮影をしてくれた女子メンバーに
感謝します。
最近は積極的に他チーム様の練習にお邪魔させて頂き、
実戦を通じてのレベルアップを図っています。
「身内だけで練習していても慣れが出てきちゃうよね」
というバスケ的な理由ももちろんあるのですが、
なにより大切にしたいのが、
「我々一人一人が異なる言語ゲームを行っているという前提に立った時に、話し合いというのは、そもそもどうやって成り立つのか」
「いかにして、我々は共約不可能性を乗り越えていくか」
この2点に答えようとする態度を最近は(運営者として勝手に)大切にしています。
相対主義(君は君、僕は僕。それでいいじゃない)の立場を突き詰めて行くと、
異なる言語ゲーム間では(バスケでいえば、プレイスタイルや試合に対する考え方)、
共約が不可能である、つまり話し合いが不可能であるということ。
でもそうしてしまうと、話し合いの意味や、
人間が一緒にる意味などが一切無くなり、虚無的になってしまう。
SMAPの「世界に一つだけの花」に代表される相対主義の礼賛は、
とても聞こえがいいから受け入れられやすいのは分かってる。
「君は元々特別なオンリーワンなんだよ、最高!」
なんて言われたら、悪い気はしませんから。
でも、相対主義の行きつく先は、孤独と虚無“のみ”です。
この問題はちょうど哲学者が話し合っていて、考えられていることであって、
決まった着地点は(僕の知る限りでは)ありません。
進むべき道はまだ分かっていませんが、
(代表として失格と言われても文句言えませんね 苦笑)
進んではいけない道
(自分の殻に閉じこもること、他者に無関心になること、意思疎通をあきらめること)
だけは偉人達が教えてくれているので、
僕の引退までに(せめてボンヤリでも)人類が進むべき道を示せたらなと偉そうに思っています。
ペコより